2022年・金沢能楽会・別会能(4月)行ってきました!〜春爛漫の金沢で宗家の能楽・狂言を堪能♪〜

みなさま

年度も改まり、春になったかと思いきや肌寒い日が続く昨今ですが、いかがお過ごしでしょうか。

前回は金沢能楽会・2022年2月の定例能をレポートしましたが、今回は毎年一回・四月に開催される金沢能楽会・別会能鑑賞についてレポートをしたいと思います。

先月の3月定例能までは蔓延防止措置の対象期間中だったこともあり、能楽堂への客入りも心なしか少なく寂しい感じがしておりましたが、今回は解除後初めての能楽開催となりました。この瞬間を迎えられたことを非常にうれしく思っております。

石川県内も先月上旬まで降り続いていた雪もすっかり解け、金沢市内でもちらほらと桜が咲き始めました。関東はもう満開ということですから、北陸の開花は一週間近く遅い開花となりました。やはり北陸はまだまだ肌寒い日が続きますが、一日一日と日も長くなり、少しずつ温かさを増してきているように感じます。

残念ながら満開の桜とともに能楽鑑賞とはいきませんでしたが、今回の別会能は非常に見ごたえがありました。お値段は定例能よりもややお高いですが、当塾は賛助会員でしたので割引券を利用して7,800円で鑑賞させていただけました。

7,800円は「やや高い」という風に感じられるかもしれませんが、それでも観客席は定例能に比べても客入りが圧倒的に多く、舞台正面席はほぼ満員御礼という客入りでした。定例能では見られない活況ぶり。単に措置解除の影響だけではなく、豪華な能楽師・狂言師による会ということが大きな理由です。

毎年そうなのですが、別会能は非常に豪華なゲストをお招きして開催されます。能楽や狂言にそれほど詳しくなくても、一度は聞いたことがあるであろうビッグネームが名を連ねております。

今回の別会能では能楽二舞台、間に狂言が一舞台という通常の構成ですが、第一幕の能楽・シテは宝生流宗家の宝生和英氏、そして狂言は和泉流の野村万蔵氏、といずれも超!がつくほど豪華な主演です。

宝生和英氏は昨年11月平日に開催された「小鍛冶」で一度拝見をしており、さすが宗家の技のキレは別格だな、と感じ入っておりました。また野村万蔵氏は今回が所見ですが、以前に東京・神田明神で薪能を鑑賞したときの主役が野村万氏でした。野村家の狂言鑑賞も今回が2回目ということなのでワクワクしながら臨みました。

改めて別会能の演目は、能楽一幕目がシテ・宝生和英氏による「高砂」、狂言が太郎冠者・野村万蔵氏による「止動方角」、能楽二幕目がシテ・藪俊彦氏による「砧」、の3舞台構成です。

まず目についたのは、全員が裃をまとった正装にて演じられるということ。「現在でも、披キや祝賀能、記念の能などでは、肩衣と袴で演じられることがあります(※1)」とも解説されることから、やはり宗家によるこの「高砂」は非常に特別な意味合いがあると言えるでしょう。

「高砂」は世阿弥の最高傑作の一つとも称される能楽で「古くから祝言第一とされてきた演目です。古来より、正月などめでたい際には宮中や幕府はもとより、謡のたしなみがある武士や町人の家などでも広く謡われ、親しまれてきました(※2)」とも評されるように、やはりこの演目を宗家が演じることは大変意義深いことだなと感じました。

前シテ・ツレは一組の老夫婦(松の精の化身)とワキ・ワキツレとの会話で舞台が進行し、アイ狂言による中継ぎを経て、正体を現した後シテ(松の精)が舞うというもの。

後シテの激しい舞は、松の精があたりを縦横無尽に飛び回る様が、大きく足を踏み鳴らしたり素早く移動したりする所作によって表現されており、次第に大きく、早くなる笛や太鼓の音と相まって緊張感が高まります。こうした表現方法は、2月の定例能「松尾」でも見られたように動きの大きな所作で精霊がそこかしこを飛び回っている様を表現するための方法ですね。

そして何より、後シテのテンポの速い舞を見事に舞いきる宗家の技のキレ、演技力は非常に見ごたえがあり感じ入るところが多かったです。もちろん、普段の定例能も毎回見ごたえがあるのですが、やはり宗家による舞は「別格」だな、というのが素人の私でもわかるくらいでした。

また今回の「高砂」もアイ狂言による語りがありましたので、前半・後半とメリハリをつけて鑑賞することができましたし、今回のアイを務められた中尾氏の語りにも(今回も)非常に感激しました。特に最後の方の語りで空を見上げながら「あれをご覧ください」と促すシーンはとてもドラマチックで、舞台の三次元的な立体感がぐっと強調されるシーンでとても印象深かったです。

第一幕から感激しっぱなしの別会能、続けて狂言「止動方角」は太郎冠者・野村万蔵氏による演目で、こちらもとてもワクワクしながら開演を待ちました。和泉流宗家による狂言は、こちらも非常に見ごたえがあるだろうとの期待は高まるばかりです。

そしてやはり期待通り、というか期待以上に万蔵氏の語りや演技は素晴らしかったですね。セリフ回しはもちろんのこと、細かな所作や表情など、伝統芸能を見ていることを忘れてしまうようなわかりやすい(現代劇やドラマのような)内容でしたし、観客を笑わせる場面もさすがといった感じです。自然な演技が、思わず観客を劇中へと引き込んでしまう魅力がありましたね。

そしてなんといっても驚いたのは!狂言師の炭光太郎氏が今回は「馬」の役で登場したということ。動物の(人間以外の)役で登場する演目というのを初めて見させていただきましたが、狂言師はこういう形での役回りもこなすのだなあ、というのを学びました(※3)。

そしてこの「止動方角」なんと2回も落馬するシーンがあり、主人・太郎冠者が落馬して痛がるシーンは非常にリアルで、滑稽なものでした。落馬直後に5秒程度うずくまって動かない(痛みをこらえている)シーンがあり、見ているこちらは「大丈夫かな?」とついつい感情移入をしてしまいます。

落馬のシーンだけではなく、演目全体を通じて「驚く」「とぼける」「怒る」「悪態をつく」といった一般庶民のしぐさ・感情が非常にありありと表現されており、万蔵氏の演技の妙を堪能することができました。

能楽・二幕目はシテ・藪俊彦氏、ワキ・平木豊男氏による能楽「砧」です。個人的にはワキツレの「夕霧」役で松田若子さんが演じられるので、こちらも非常に楽しみでした。

演目の前段は離婚調停のため上京中の夫(ワキ)から侍女(ワキツレ)の夕霧を介して、年の暮れには帰郷するとのメッセージを妻(シテ)伝えるが、結局帰郷はかなわず妻は失意のうちに亡くなってしまう、という少しショッキングな内容です。

シテが前段で亡くなってしまったら、後段はどうなるのか?と心配していましたが、なんと後シテでは「夫が妻の霊を呼び出した」という設定で妻が幽霊となって出現するという大胆な展開です。そして後シテの面は「亡くなった」ということを表すため、前シテの女性の面とは全く趣を異にするやつれはてた女性の面をつけ、そして非常にゆっくりとした足取りで登場します。

このあたりの霊魂の表現方法が「高砂」の荒々しい動きの後シテとは非常に対照的であり、「高砂」を見終わった後だからこその「砧」の後シテの寂しい(物悲しい)様が一層際立つ形となり、注目ポイントの一つだったかなと思います。

その意味では宗家の「高砂」を前半に持ってきたのは、「砧」の後シテを際立たせるための意図的な構成なのかな、とも想像できて面白いですね。もちろんどちらが「主」「従」というのはないのですが、そういうことを考えてみると演目の構成にもどういう意図があるのか、など様々に思いを巡らせることができて楽しいですね。

そして松田若子さん演じる「夕霧」が帰郷して「妻」と語らう場面は、よくよく考えると珍しい「女性同士の対面シーン(舞台に男役が一人もいないシーン)」でもあり、夕霧と妻との間の細やかな感情表現なども見ものでした。こうした役回りはやはり女性能楽師ならではだなと感じます。

改めて振り返ると今回の別会能、非常に豪華な顔ぶれだったなと改めて思います。宝生流宗家による舞、そして和泉流宗家による狂言、ともに非常に見ごたえがありました。来月からまた定例能となりますが、今回の別会能との比較なども交えながらまた能楽鑑賞記を記していきたいと思います。

参考資料

※1:能楽トリビア「能舞台では、羽織は着ない?」

https://www.the-noh.com/jp/trivia/041.htmlhttps://osaka-dairengin.com/noh-takasago/

※2:白翔会・ようこそ能の世界へ・『高砂』

https://osaka-dairengin.com/noh-takasago/

※3:ちなみに動物の衣装は「モンパ」と呼ばれる。「動物でも狐や猿、狸の役は、写実的な面とモンパといった着ぐるみによって、その動物であることが一目瞭然である。一方で馬や茸、蚊などは、そのものの姿を真似て扮するのではなく、面や装束、頭や小道具などで、それらしさを表現する。」今回の「止動方角」でも馬役の炭氏は面をかぶり、たてがみ付きの着ぐるみを着て演じていた。

能楽協会「狂言の基礎知識」:https://www.nohgaku.or.jp/guide/%E7%8B%82%E8%A8%80%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E7%9F%A5%E8%AD%98