2022年・金沢能楽会(2月)行ってきました!〜大雪の金沢で能楽「鶴亀」「二人袴」「熊野」を鑑賞〜

みなさま

前回は金沢能楽会・2022年の初演をレポートしましたが、今回は引き続き2022年・2月の定例能鑑賞についてレポートをしたいと思います。

当日は金沢市内だけでなく石川県全域が大雪に見舞われた中での2月公演となりました。先月下旬からの県内適用となった蔓延防止措置の関係もあってか、心なしか観客も先月よりは若干少なかったかな、という感覚でした。

雪化粧の能楽堂というのもなかなか趣深いものです。

2月公演の演目も、1月公演に引き続き「縁起物」が中心です。

「鶴亀」の舞台は中国。玄宗皇帝の宮殿で初春を祝うための舞が振る舞われる、というものです。この「鶴亀」で特徴的だったのは子方の登場でしょう。

昨年の8月定例能「百万」でも子方の出演がありましたが、その時にこの「子方」についての解釈を再度ご紹介しておきましょう。

「高貴な役を子どもが演じる理由は、汚(けが)れていない子どもが高貴な役を演じることで、神聖さが際立つからとも言われているようです」(出典:note記事『能を演じる子ども達(2):「大人の役」を子方(子役)が演じることもある』)

https://note.com/hinoki_noh/n/n45bd22b8dc49

二人の子方がそれぞれ「鶴」「亀」として皇帝の前で舞を披露するというものですが、このように子方は能楽では「汚れのない、聖なる存在」という意味付けを与えられますから、子方の二人が皇帝の前で舞を舞うということで、玄宗皇帝の神聖性を引き立てている役割を果たしているといえるでしょう。

そして2月公演でもう一つ気になったことは「間」の出るタイミングでしょうか。

「鶴亀」では「間」が「官人(朝廷の役人)」という立場で一番最初に現れ、皇帝の行幸に連なるよう呼びかけて去っていく、という設定になっています。オープニングで「間」が出現するという構成は新鮮(私は初見でした)で勉強になりました。

またシテの動作で気づいたのは「足を踏み鳴らす強さ」が通常のシテのそれとは違っていること、でした。子方の舞ではもちろん強く踏み締めることはしませんが、同時にシテもまた「皇帝」という設定のためか足を強く踏み鳴らすことはせず、感覚としては「そっと踏む」という形に近いものでした。

あくまで皇帝は庶民のように荒々しく、活発に舞うということはせず、神格化された存在として「そっと舞う」ということなのかな、とも思いました(深読みかもしれませんが・・・)

続いて狂言「二人袴」。かつてNHKの能楽番組で拝見したことはありましたが、能楽堂で拝見するのは初めてだったのでかなり期待をしておりました。

この「二人袴」でも婿役を演じた城戸さんは、おそらく中学生くらいの方でしょうか、若い方ながら立派に演じきっていたのがとても印象的です。台詞回しは多少辿々しいところはあるもの、それを十分に補う演技を見せていたと思います。

ただ、セリフ忘れが何回かあり、その度に後見の炭哲夫さんから厳しいフォローがあったことから、おそらく「熱血指導されているんだろうなあ〜」と感じ入ってしまったのも印象的です。

また「親」役のベテラン狂言師・清水宗治さんとの掛け合いも、本当の親子のように見え微笑ましく拝見しました。

特に長袴を何回か履き替えさせるシーンで「これは如何なこと」「やれやれじゃ」「こうじゃ、こうするのじゃ」という台詞は、息子を気遣う父親の自然な台詞のようにも聞こえ、本来笑いを誘うシーンにも関わらずホッとするような雰囲気も感じられたのは、さすがベテランのなせる技でしょう!

そして最後の演目は「熊野」。後見が松田若子さん、福岡聡子さんという「女性ダブル後見」にも密かに期待をしておりました。

後見は決して目立つ役ではないものの、舞台装置の設置と片付け、シテのお召し替えの手伝い、そして万が一の際の台詞のサポートなど、まさに「縁の下の力持ち」で毎回感心をしております。女性後見は男性後見よりも、例えば着付けだったりサポートの細やかさという点では秀でているなと毎回感じています。

さてこの「熊野」、一つ私が困ったのは「間狂言がない」ということでした。

そういえば昨年鑑賞した能楽を振り返ると、そのほとんどが「間狂言」がある演目だったんですね。前シテ・後シテという形で演目が2部構成され、そして「間狂言」が前半と後半をつなぐためのリズムを整えているのが、少なくとも私が今まで拝見した能楽の大半でした。

ですから間狂言がないこの「熊野」、実は1時間近くぶっ通しでストーリーが進んでいくため、集中力を切らさずに見続けるのがちょっと大変・・・と思ってしまいました。

ただ「熊野」も「鶴亀」も、ストーリー的には間狂言を挟んで物語が進んでいく内容のものではありませんから、こういう演目もあるのだな、というところで納得。間狂言がないということを言い訳にせず、集中力をもっと高めなければ、と思いました。

と同時に、少し本題からは逸れますが、今回の「鶴亀」「熊野」を拝見する中で、今年は「謡」に対する理解をもう少し深めよう、と改めて思った次第です。

というのは、今回の「鶴亀」も「熊野」も、間狂言がない演目の場合はストーリー構成や物語の進行がより「謡」の理解をベースとしなければついていくのが難しいだろうな、と感じたからです。

昨年から気になっていたのが、ご年配の観客がお持ちになっている「謡本」です。これがまさにストーリー本なのだ、というのは昨年から理解していましたが、今まで怠けてしまい「聞き取れる単語を断片的に繋げて、なんとなく理解していた」という程度にとどまっていました。

私は元々歌舞伎好きで、そこから古典芸能を見るようになったのですが、能楽の謡も歌舞伎の長唄を聴くような形で聴いていました。ですが能楽の「謡」は歌舞伎の長唄とは全然違いますから、やはり今年はきちんと謡本を購入して、見ながら鑑賞すべきだなあとつくづく思いました。

間狂言は、これはこれで非常に見やすいスタイルなのですが「これを期に、きちんと謡も勉強しなさい」とアドバイス(お叱り!?)を受けた、そんな風に感じた2月公演でもありました。

寒い日がまだまだ続きますが、来月公演ではもう少し季節が暖かくなると良いなあ、と思います。