【連載・完】「中高オール学年一位」の秘訣 ~『東大式3ステップ』 その三~

皆様

いかがお過ごしでしょうか?

本日で連載も最終回!早いものですね。早速見て行きましょう。

本日は「テクノロジーを活用するための3つのテクニック」(335頁)についての解説です。

前回までは「モノに頼れ!」という点についての解説をしましたが、ここではその活用方法について。

折角アプリをダウンロードしたのはいいけれど、まったく有効活用できなかったら意味ないですよね?

そのテクニックの一つとして「困ったら起こることリスト」を作成すること(335頁)を紹介しています。

どういうことでしょうか?

これは「試験当日」「試合本番」などに実際に起こったら困る(かなり困る)ことを事前に想定しておこう、という試みです。

例えば「世界史の年号が出てこないかもしれない」「緊張して英語の長文が全くできないかもしれない」、はたまた「当日寝坊するかもしれない」「筆記用具や受験票を忘れるかもしれない」など、様々あると思います。

それらをあらかじめ言語化(可視化)しておくのですね。

将来の自分を、今の自分が客観的に見つめるという意味でも「メタ認知」にも関連する作業だとは思いますが、それ以上にそれらの「困ることリスト」の芽を今のうちから潰しておこう、というのがこの作業の狙いです。

例えば「寝坊するかもしれない」という困りごとに対する原因が例えば「夜型の生活」にあるとすれば、その対策として「夜12時までに寝る」だったり、なかなか寝付けないという問題があるとすれば「新しいベッドを買って、睡眠の質を上げる」「睡眠に良い音楽をYoutube上で見つける」など、様々な対策が打てます。

そしてこの「対策」の部分で、テクノロジーを使おう、というのがこのテクニックの趣旨です。

ですから、最初からテクノロジーありき、で物事を語っているわけではありません。逆に言うと、問題解決のための正しい対処方法となっていなければ、テクノロジーをいくら導入したところで無駄だ、ということでもあります。

英単語が覚えられないという悩みに対して、世界史の暗記アプリをインストールして使うようなものですね。

ですから、まずはこの「困ることリスト」をしっかり作りましょう!という所から始めたらよいのでは、と思います。当塾でもこれは採用して是非使いたいと思います。

次のテクニックは「自分の頭を使う前に『ネット検索』してみる」(340頁)です。

私の受験時代にはインターネットがやっと世に出始めたころで、当然「ネット検索」なんていう機能はありませんでしたが、今どきの受験勉強ではやはり「ネット検索」や「アプリ」の力を借りて勉強するというのも、私は全然ありだと思います。

ですがネット検索がなかった時代にも、確かにこういうことをやっている人はやっていたな、と思う手法なのでここでご紹介しました。

受験勉強とは「自分で考え、自分で学び、自分で答えを出す」ものだ、という世間一般の考え方(?)に対するある種のアンチテーゼです。

なにせ「考える前にまず『ネット検索』せよ」と言っているのですから、一見すると自分の頭で考えるのを放棄し、安易に他人に解答を聞くような行為だと、いぶかしがる方も多いかもしれません。

ですが本書はむしろ「それでいい」ときっぱりと主張します。

どういうことか?

これは以前の投稿でもご紹介した「型にはまれ!」という考え方に非常に近いと言えます。

成功したいのなら、成功した人の学習(行動)パターンを真似すればいい。

そしてまねる中でだんだんと自分なりのアレンジ方法が見つかり、初めて「自分の型」ができる。

これは勉強だけでなく、社会人となって仕事を始めるようになってから特に感じるようになりました。

システム業界というのは残業することがほぼ当たり前のような職場ばかりでいつも大変でしたが、そんな中でもかならず定時退社しているメンバーがいます。

しかしそうしたメンバーのアウトプットが低いかというと全くそんなことはない。

むしろ「いかに定時までに仕事を終えるか」を常に考え、毎分毎分を戦略的に過ごしていたように思います。

もしくは「定時で退社してリフレッシュし、仕事のモチベーションを挙げる」ということがその方の仕事のやり方、戦略だったのかもしれません。

これは受験勉強でも似たようなことかもしれません。

よく「東大生にがり勉はいない」と言われますが、これもそうしたことの表れなのでは?と思います。

もちろん、自分ひとりの力だけで、まじめに、コツコツと積み上げていこうとする学習態度は決して否定はしません。

しかし、それが果たして「合格」という最終目標につながっているのかどうか、は別途精査し、検証しなければならないでしょう。

だから「目的のきちんと見えていないがり勉」は、悲しいかな全くの無駄な努力に終わってしまうことが多い。そして「これだけやったのに・・・」という悲壮感に囚われ、そこから何も生産的な反省が生まれない。「もっと勉強時間を増やすべきだった!」という、頓珍漢な結論、そしてそれに基づいた誤った「浪人生活」が始まってしまいかねないのです。

私はここで敢えて嫌な書き方、言い方をしました。

「勉強しても、努力しても報われないことがある」なんて、不合格になった直後に聞いたりしたら発狂して私を殴り倒す学生もいらっしゃるでしょう(笑)

ですが、私がまさにこの「勉強しても、努力しても報われないことがある」という事実を、誰よりも受け入れたくない人間でした。

進学塾も予備校もない片田舎で、受験指導なんてまともにしたこともない先生と二人三脚で東大を目指していた当時。

東大受験についての情報なんて、私の住んでいた町には当然ありませんでした。東大はおろか、都内の大学を受験しようなんていう発想すら、地元の友達の間にはありませんでした。

高校を卒業したら就職する、もしくは地元の専門学校に2年通ってから就職する、それが当たり前の土地でした。中には優秀だけれども、家庭にその経済力がないから進学そのものを断念しなければならない人間もたくさんいました。

「大学に行く」なんて、彼らの前で言うことすらはばかられるくらいのど田舎。

当時のそうした環境があったからこそ、「受験勉強をさせてもらえていること」ひいては「勉強をさせてもらえていること」そのものが非常に尊い行為としていつしか自身に刻み込まれるようになりました。

そう、良くも悪くも「勉強することそのものに意義がある」という考えに支配されるようになりました。

残念ながら、現実は大学受験、特に東大受験なんていうものは精神論だけで成功できるものではないことは、今でははっきりと分かります。

当時の私が未熟だったということもありますが、それ以上に「合格するためのテクニック」そして「戦略的な受験勉強」という概念を知らなかったばかりか、そうした「テクニック」に頼るということをそもそも拒み、早くて確実な近道があるにも関わらず敢えて遠回りをして「近道をするなんて卑怯者にはならないぞ!正々堂々と戦うんだ!」と、旧日本軍のような精神論で受験勉強をしていた私。

自戒の念も込めて、私のように「メタ認知能力」がゼロの人間が所詮東大になど、入れるわけがない。

入ったところで、おそらく学業や周囲の人間関係についていくことなどできなかったであろう。

だからマンモス私立大学に落ち着いた私のキャリアはある意味では当然、そして「身の丈にあった」キャリアだったのでしょう。

東大入試のことを考えると、20年以上たった今でも当時の悔しい思いがこみ上げてきます。

ですが人間は怒りや悲しみにばかり囚われていては、決して前に進むことはできません。

だから当時の自分を恨んだり、責めたりするのはやめて、その代わりに「当時の自分に、今の自分が伝えてあげたいこと」として、今まで長々と連載を組み、本書の解説を行ってきました。

 

当連載は今回で終了となりますが、連載で解説・ご紹介したことは当塾の指導方針にもいかんなく取り入れ(それこそ「メタ認知!」)、当時の自分の過ちを繰り返し、悲しい思いをする学生を一人でも減らすべく取り組んでいきたいと思います。

長らくお付き合いいただきまして、大変ありがとうございました。