【連載】「中高オール学年一位」の秘訣 ~性格が悪い人は成功できない!?~

皆様

いかがお過ごしでしょうか。

昨日の投稿では、なんだかこわ~い感じのする「マインドコントロール」について、それを受験勉強に有効活用しましょう♬というお話でしたね。

そして、その「マインドコントロール」に成功するための第一歩が「現状認識」と「理想とのギャップの認識」にあることまで解説をしました。

でもこの「マインドコントロール」、成功するためにはある条件が無ければいけないんです!

誰もがマインドコントロールに成功するわけではない。では何が必要なのか、知りたくないですか?

今日はその条件についてのお話。

今日のお話は、私にとっても結構身につまされる話です。そして皆さまやご子息様にも、ひょっとしたら心当たりのある方がいらっしゃるかもしれません。

今日の話は、おそらく誰にとっても結構耳の痛い話です。と同時に、「メタ認知」についての結構本質的なところをえぐっていく話でもあります。少し長くなりますが、お付き合いいただけるとありがたいです。

本書ではマインドコントロールが成功するための条件として「素直で謙虚」「他者視点」「型の重視」の3要素を挙げています。

特に最初の「素直で謙虚」っていう単語、ギクッとされた方もいらっしゃるかもしれません(笑)

「性格が悪いと勉強ができない」ってことなの?と思われた方へ。

残念ながら答えは”YES”だ、というのが本書の見解です😢

 

なぜ素直かそうでないか、が勉強に直結するのか。

前回の投稿で述べた「現状認識」そして「理想と現状とのギャップ認識」、言葉でさらっと書いてはいますが、実際問題、素直に今の自分の学力・能力を受け入れられるでしょうか?自分の、えてして恥ずかしい(認めたくない)部分を第三者的に、しかも点数という厳然たる事実として示されたとしたらどうでしょうか?(本書144-146頁)

本書でも『ドラゴン桜』のワンシーンを紹介していますが(141-143頁)、東大模試D判定の結果を受け入れたくない生徒と桜木とのやり取りがつづられています。

「たまたま今回は調子が出なかっただけだ」という生徒の言い訳、漫画ではありますが私たち皆が一度はこうした「言い訳」したことはありませんか?

ウンウン、と誰もがうなずかれることだと思います(笑)

ですが、こうした態度は「現状認識」を受け入れることができず、したがってその先のプロセスに進むことができないのです。

なかなか過酷だと思いませんか?

折角頑張って勉強してきたのに「D判定」、かつそれを「ああ、俺はまだまだ全然ダメなんだ」といったん受け止め、そこから「じゃあ、これからどうする?何から変えていく?」なんて、高校生が冷静に考えることができるでしょうか?

自分のダメさ、できなさ具合を自ら認識し、進んでそれを受け入れ、改善していくなんて、とてつもないパワーがいること。現実には、漫画の中の桜木のような、カリスマ的なメンターがいなければ無理だと思います。

なぜなら、へこんだ学生を立ち直らせて、そこから勢いをつけなくてはいけないのですから。現状認識をさせた側にも責任は発生します。その責任を取れるのか?そこから立ち直らせて、さらに成績をアップさせなくてはいけないのですから、これは相当厳しいことでしょう。

下手したら心が折れてしまって再起不能になるかもしれない。ならば辛い現実は見せずに、だましだまし生徒をおだててその気にさせて、気持ちよく勉強を続けさせるようにした方がお互い楽なのかもしれない。

ですが、この現状認識をできる子どもこそが、大きく将来伸びる可能性があります。

なぜ私がそう断言できるのか、それは社会で成功する人間が例外なく「素直さ」を兼ね備えているからです

 

少し話はそれますが、私はIT業界で10年ほど勤務する中で、いわゆる「客先常駐」型の業務で働いてきました。つまりお客様のオフィスのプロジェクトルームにお邪魔して、お客様のシステム開発を行うというスタイルの、IT業界では割と一般的な勤務形態です。

その中で様々なお客様とお仕事をさせていただく中で、「このお客さんスゴイ能力高いな~」と私が感じた方々は例外なく「性格が良い」のです。具体的には、とても謙虚な方々ばかりだなという印象でした

学生時代の成功も、社会人となってからの成功も、その根本は共通していると私は確信しています。それがこの「謙虚さ」にあると考えています。

では、なぜ「謙虚さ」が学力や仕事力につながるのか?

それは「己をよく理解している」からです。自分自身のことを、良い面も悪い面もどちらも客観的に理解しているからこそ「良いところをもっと伸ばそう」「悪いところは改善しよう」という、まさに「次の一歩」を踏み出すことができる。結果としてそれが行動に取り掛かるスピードを加速させ、結果、成果が表れるまでのスピードも加速させることができるのです。

また、仕事上この「謙虚さ」とはまた別の良い面ももたらします。それは「人間関係の円滑化」です

社会人になってから誰もが気づくこと、それは「一人では決して仕事は成り立たない」ということ。大学卒業までは気の合う友達や仲間と、それこそ好き勝手なことをしてきても学生生活はさほど困ることはありません。他人の成績が悪いから、態度が不良だからといって、自分まで連帯責任を負う、なんてことは絶対にありませんよね。

しかし、ひとたび組織に入れば必ず「お客様」「上司」「先輩」「同僚」「後輩」といった人間関係、はたまた研修を担当してくれている人事部の方々、自分たちの給与計算をしてくれる経理部の方々など、「他人」と関わることなしに社会人として生きることは不可能です。

だからこそ、他人の助言や、時として厳しい言葉にも「素直に受け入れる」、そして「現状を認める」ということができる人間は周囲の人間からするととても高評価(好評価)を得やすい人物でもあります。

そうした人間は、周囲が進んでサポートをし、もっと成長してもらいたいと思ってもらい易いので、当の本人もどんどん成長するし、周囲も一層応援するようになる。そういう好循環を生み出しやすいのです。

だからこそ「素直である」ということは、本人の性格の問題にとどまらず、それ自体がもう一つの才能だと思うのですね。

社会人の話をもう少し続けさせてください。優秀な人、成功する人の性格と同時に、言葉は悪いですが「使えない奴に共通する要素」なんだか分かりますか?

それは「プライドの高さ」です。そう、頭がいいとか悪いとか、学歴が高いとか低いとか、そんなことではないのです。

そしてこの「プライド」の話をする際に一緒によく「『学歴が高くても、プライドが高くて』使えない奴」という単語がしばしば口にされます。

私は最初「それは低学歴者の嫉妬だろう」と思っていました。ですが、私も含めて高学歴者になればなるほど、どうしても社会人経験が浅い若手同士は学歴なんかで意味もなく対立したり、背比べなんかをしたがります。恥ずかしいかな、私もそうでした。

私の場合、たちが悪かったのは「私より高学歴者というのがそもそも存在しえなかった」ということ。そりゃそうです、博士課程まで進んだあとで一般企業に就職しようなんていうひとは、普通に考えている訳がない。

大卒の同期と比べても、普通に7,8歳!も年上でしたから、ましてや「自分以上の学歴の人なんて、いるわけないよね?」と内心鼻高々になっていました。

ですが今思えば、それが全ての失敗の始まりだったように思います

この『ドラゴン桜』の登場人物たちのように、キャリアの浅い新卒社会人として本来必要な「教えを乞うための謙虚さ」というものが欠如してたために、同期どころか先輩ですら私に対して注意、助言をする方々がほとんどおらず、同期がどんどん成長していく中で私は一人取り残されてしまいました。

結局、新卒で最初に配属されたプロジェクトで、私は先輩のメンター社員とかなり折り合いが悪くなり、そればかりか上司、同僚、パートナー会社の社員のほぼ全員から煙たがられる存在となり、なんと半年も経たずにそのプロジェクトを放出されてしまいます

そしてさらに悪いことに、私はその原因を「私の謙虚さが足りない」ではなく、「周囲が自分を理解してくれない」という最悪な形で解釈をしてしまったのです。

とうとう私は、貴重な新卒一年目の成長の機会を自ら潰してしまったのです。

そう、「メタ認知能力」の無さのために・・・

その後私は5年間にわたり、配属される先々でことごとく適応不順となったまま何回も転職を経験、そして転職するたびにまた同じような過ちを繰り返し・・・という、最悪な形での悪循環にはまっていました。

そう、その時はじめて自分が「高学歴で使えない奴」になってしまっていた、ということに気づいたのですね

残酷なようですが、何回も転職を繰り返した挙句プライドも何もかもボロボロになって、そこで初めて「現状認識」を受け入れることができたのです。

だからこの「素直さ」、実は言葉で言うほど簡単ではなく、それこそ私のようにズタズタのボロボロになって初めて分かるケースもある。だからこの「謙虚素直になる」ということ、本当にこれが全てではないかと思われるくらい重要で、同時にもっとも難しいことなのです

本書で述べられている残り二つの条件「他者視点」「型の重視」、これは「謙虚素直であること」が大前提になって初めて可能となることですが、これらも同様に重要で、かつ私が最も弱い部分の一つでもあります。

「他者視点」とは何でしょうか?それは「自分以外の他人から見た視点/考え方」のことです。

なぜ受験勉強に「他者視点」が必要なのでしょうか?

私は文系志望にも関わらず現代文が大の苦手でしたのでよく分かるのですが、当時よく指摘されたのは「出題者の意図をくみ取れていない」「筆者の記述の意図を理解できていない」というものでした。

出題者や筆者という「他者」の視点、考えを理解することがまさに現代文(文章読解)を解くということそのものであるにも関わらず、私は「いや、俺はこう思うんだ!」と完全に「自分視点」からしか文章が読めていなかった。

今から思うに現代文というのは、「相手の話をきちんと聞ける」「相手の立場を理解し、尊重できる」そんな能力をはぐくむためのものだったのだというのは社会人になってだいぶたってから気づきましたが、もちろん「メタ認知能力」ゼロの私にはそんなことすら理解できる頭がない。

だから結局、ここでも「他人視点」を「素直」に受け入れることができず、結果現代文の点数が伸びない、という悪循環に見事にはまっていました。

やや細かい話になりますが、現代文が苦手な私は、輪をかけて「小説問題」そして小説一般が大嫌いでした。メタ認知能力ゼロの私は(しつこい!?)登場人物の気持ちを推測することも、共感することも全くできず、「小説なんて何が面白いのかさっぱり分からない」と本気で思っていました。

小説を好きになれ、ということは申し上げませんが、多感な青春時代、様々なことで悩む中で小説が心の支えになった、ヒントになったという方は多いのではないでしょうか?それこそが情操教育だと思うのですが、私は不幸にもそういったものに心の支えを見出すことを「弱さ」とか「現実逃避」などと、歪んだ捉え方しかできなかった。まったく愚かであり、悲しむべきことです。

そして三点目の「型の重視」、これも「他人視点」とかなり重複するところがありますね。

勉強の「型」、成功の「型」、世の中にはすでに先人の努力によって築き上げられ、そして歴史とともにそれが実証されて来た無数の「型」がある。我々のような凡人はその「型」をまず知るべきだ、というものです。

当時学生の私には「型」なんて言う発想はありませんでした。それどころか

「成功の「型」なんてものがあるんだったら、みんなその「型」をまねれば東大に入れるわけじゃないか。でも現実にはどうだ?型をまねるとか型にはまるとか、姑息なことをして東大に入る奴なんかいない!ただひたすら勉強する奴が成功するんだ!」

なんて、まるで旧日本軍の精神論みたいなことを本気で考えていました(笑)

これはもはや笑いを通り越して、苦笑というか冷や汗ですね・・・結局この「型」の重要性も社会人になって初めて痛感することになります。

そう、私が「ITコンサルタント」としてキャリアを歩み始めたばかりの頃。最初のプロジェクトで「お客様の財務分析を手伝う」という任務を命じられました。

ハアッ!?私、昨日までエンジニアだったんですよ、と思わず言いたくなりました(笑)

しかしそれは可能なのですね。

どういうことか。

コンサル業界で勤務経験のある方なら誰もがご存じの「フレームワーク」、これはまさに「型」にほかなりません。どういうコンサルタントであっても、その「型」に従って分析を進めていけば、誰もが同じような結論に達することができる。

だからこそ会社は私に、やったこともない財務分析の任務を与えることを通じて「型」(つまりフレームワーク)を学べ、という指令を出していたのです。

最初はそのことが分からず、さんざん上司に怒られながら、だましだまし私のITコンサルタントデビューを手伝っていただきました。その上司はたまたま東大卒で、しかも開成中学・高校からの進学組、典型的な「エリート東大生」でした。

その上司の思考方法、発言内容の逐一が、もうそれこそ嫌になるくらいこの「型」に則った論理展開をしてきます。この人は中学校からずっとこんなに頭が切れる人だったのかな、と思うくらいもう一日中「型」の重要性を滔々と語るので、私はこれに懲りて「型」にはまることを人生で初めて許容しました(笑)

しかし、そうする中でだんだんと自分の思考も明確になってくるのが分かったのです。と同時に、それまでの学生時代を含め、いかに自分が「無駄な思考」「遠回りの勉強方法」をしていたのか、ということもつくづく思い知らされました。

社会人になってからおそらく一回は皆様も聞かされたであろう単語の一つに、「守・破・離」があると思います。ここで詳述することは致しませんが、「型」はまさにこの「守」の最初のきっかけともなるもので、きわめて重要。これが無ければ、そこから応用させることも、ましてや自分なりのやり方というのを確立していくこともできない。

私ですら、と言ってはやや語弊がありますが、学生時代を終え社会人となってだいぶ経つなかで、やっとこのようなことに気づくことができました。だから普通に考えて、こうしたことを学生のうちから気づき、かつ実践できる子は成功する可能性が高いと断言できます。

裏を返すと、それくらいこの「メタ認知能力」そして「現状認識」を受け入れるというプロセスは並大抵のことではないのです。本書の共同著者の西岡氏も、東大受験の二浪目で初めて悟り、そこから大きく改善していったということを書かれていました(150頁)。

人は痛い目をみて初めて悟る、なんて陳腐なことを言うつもりはありませんが、やはり人間が大切なことに気づくきっかけというのは往々にして「痛みや恥を伴う強烈な経験」であることが多いのもまた事実だと思います。

そして一番大事なのは、そうした「痛みや恥を伴う強烈な経験」をした後、どう立ち直っていくか、ということでしょう。

でも、その気づきを得られれば、そして自分と素直に向き合えれば、問題の7,8割は解決したようなものだと私は思います

その気づきのプロセスに、当塾も力添えができれば嬉しいと思います。

 

さて、今回少し長くなってしまいましたがおさらいを。

今回は「現状認識」が成立するための3つの条件として「素直さ」「他人視点」「型の重視」ということについて解説をしていきました。

次回以降はややテクニカルな話になっていきますが、最初のテーマは「メタ認知力を高めて行動に移す3つのテクニック」(158頁~)を解説していきます。