金沢能楽会(7月)行ってきました!&8月能楽会参加者募集~能楽における「子役」について~

皆様

先日の能楽レポートに引き続き、今回は能楽における「子役」について色々と綴っていきたいと思います。なぜいきなり子役の話か、とお答えする前に読者の皆さんが「子役」に対して抱いているイメージを少しお伺いしたいと思います。

さて、能楽で、子役が舞台に現れたとしたら皆さんはどうお感じになるでしょうか?先月の「百万」を観劇した時に、少しびっくりしてしまいました。歌舞伎ならまだしも、あんな難しいセリフ回しを子供が果たしてできるのだろうか、そしてそれを能楽としてお出しすることなどできるのだろうか・・・と素人意見ながら少し失礼なことを思っていました。

ちなみに子役というのは歌舞伎でも存在します。市川海老蔵の息子の勸玄君や、もう襲名して市川染五郎となりましたが先代の松本金太郎さんなどは、よく知られた歌舞伎界の名子役です。その他にも大名跡の跡取り息子が、子供の頃から子役をつとめることを通じて梨園の世界の人間になっていきますが、それはエンターテインメント性を重視する歌舞伎ならではの役で、子役が主役や、何か特別な意味を持った役割になることはないとばかり思っていました。これもど素人ならではの発想・・・

話を先月の能楽「百万」に戻すと、生き別れた母を探してワキと全国を行脚しているという設定で子役が登場していました。まあ設定上そういう場合もありなん、と思ってその子の顔をじっと見ていたら、なんとどこかで見たことのあるお顔の子だったのです。といっても私の知り合い、とかそういうわけではありませんよ(笑)

そう、舞台の上のとある楽器の担当の方とそっくりだったのです。そこで、おそらく私を含め多くの観客が「ああ、この方のお子さんだな」というのに直感で気づいたことでしょう。まあ、親子ですから「似ている」というのは当たり前ではありますが、これを見た時に「能楽も歌舞伎と同じくファミリービジネスなんだな」というのを肌で感じました。

ですが、これを見て同時に思ったのは、歌舞伎とは違って「役者の息子が役者になる」だけではないのだなということ。太鼓や謡を担当する家柄であったとしても、その家の子供はいきなり太鼓や謡から始めるわけではなく、まず能楽のおけいこから入って能楽の基礎を学ぶ、ということなのでしょうね。その観点からすると、前回の「地謡」考に引き続き、能楽は「舞台役者だけがメインではない」ということ、地謡や楽器ともども、舞台全体で一つの演目を作り上げる、という総合芸術だというのが改めて理解できます。

このように様々考えてみると、やはり私の知識では限界があるため色々調べてみました。すると興味深いことが発見できました↓

★子役は「子方(こかた)」と呼ばれるが、必ずしも子供だけが「子方」を演じるわけではない、ということ。そしてその理由としては、表現上の効果を増すため、また子供の「穢れのなさ」「純粋さ」を演じる役に反映させようとする意図がある、ということ。

子役が「子方(こかた)」と明確な役割を与えられていることも初めて知りましたが、よく分からないのは「大人も子方を演じることがある」ということ。いったいどういうことなのでしょうか?

調べてみるといくつか理由がありましたが、例えば「能独特の『シテ中心主義』」「「安宅」では、シテの弁慶がとっさの機転で義経をさんざん打ちすえる場面での哀れさが倍増する、という演出上の効果も生まれる」「天皇役の多くは子方が演じますが、汚れのない子どもが演じることで神聖さが増す、とも考えられている」(出典:能楽トリビア https://www.the-noh.com/jp/trivia/006.html)

「能の子役を「子方」といい、シテ方の役割です。子供の役柄で子方が演じることがほとんどですが、場合によっては大人の役をわざわざ子方で演じます。例えば「船弁慶」の義経などです。これは、静御前との別れの場面で男女の生々しさが出ないように、また純粋な哀れさを増すようにといった演出です。あるいは高貴な役柄、たとえば天皇の役なども子方ですることが通常です。雲の上人の清廉潔白さを表し、台詞も少なくして(全くない曲もある)象徴的にもあらわしています。」(出典:公益社団法人 能楽協会 https://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/faq.html)

「高貴な役を子どもが演じる理由は、汚(けが)れていない子どもが高貴な役を演じることで、神聖さが際立つからとも言われているようです」(出典:note記事『能を演じる子ども達(2):「大人の役」を子方(子役)が演じることもある』https://note.com/hinoki_noh/n/n45bd22b8dc49)

なるほど、単に能楽師一家の家に生まれているから、武者修行で演出しているというだけではなく、子役そのものにも表現上の意図、意味を与えているのですね。歌舞伎での子役というのは、(少しいい方は失礼ですが)ストーリー上の単なるわき役でしかないように思えます。ですが能楽では「純粋さ」「穢れなさ」といった意味付けを役に与えたいときに敢えて子方を使う、というのはこれもまた奥が深い。子役と言えども重要な役割を担っていると言えますね。

ではふりかえって先月の「百万」での子方は、といえば「生き別れた母を探すためワキ・ワキツレと共に全国を行脚中の『高貴な出自の子供』」という設定になっていました。ですからやはりここでも子方は「高貴さ」を表すために書かせない役として登場しているのですね。

このように考えると、「子方」を置いている演目はその子方に何かしらの意味付けをしているということが分かります。その意味は何なのか?演目全体に与える影響は何なのか?といったことを少し考えながら能楽を鑑賞できると、より一層深い演出が味わえるのではないかと思います。