金沢能楽会(7月)行ってきました!&8月能楽会参加者募集~「地謡」(じうたい)の役割について~

皆様

本日は金沢能楽堂の7月定例能に参加してまいりました~♬ということで早速そのレポートから。

今月、来月の金沢能楽堂では毎週土曜日に「観能の夕べ」と称して、講演料1,000円で能楽が鑑賞できますので、そちらも是非お楽しみいただければと思います(https://noh-theater.jp/schedule/)

今日はなんと!初の最前列からの観劇。やはり最前列はかなり舞台に近く、かつ低いところにあるので舞台の方々とほぼ同じ目線で鑑賞することができます。役者と同じ視点、目線で観るというのは、なかなか重要なことだなと思いました。なぜなら役者がどういう視野、視点で芝居をしているのかを(もちろんごくごく一部ですが)知ることができるからです。

今月の能楽は能楽「呉服」「芦刈」、狂言「清水」の三本構成でしたが、今回は能楽が二本とも「間(あい)」を置く構成、いわば「ダブル間(あい)」(自称)構成でした。以前の投稿でも「間」の役割について少し書かせていただきましたが(https://gakusyu-yu.co.jp/archives/4904)、間が置かれるということは「それだけ演目が長い」ということ。実際今回は終了時間が予定時間の17時近くまでになり、最初の「呉服」はなんと約2時間20分!

さらに興味深かったのは「呉服」「芦刈」共に「ワキ」「ワキツレ」に加え「ツレ」も置く演目だったということ。「ワキツレ」は「ワキ」のツレ(従者)というのは分かるのですが、「ツレ」は一体誰?という根本的なところが分かっていませんでした。「ツレ」は「シテの助演役」なのだそう(https://www2.ntj.jac.go.jp/unesco/noh/jp/stage/performer1.html)。そう、「ツレ」の従者なのです。「呉服」では「高貴な女性」、「芦刈」では「主君に使える乳母」という設定でそれぞれ配置されていました。いずれも「シテ」が「ワキ」「ワキツレ」と一緒に登場したため、ワキと関係ある役かと思っていたら違いました(笑)

今回初めて見たシーンで驚いたのは、なんと狂言で後見サポートが入ったということ!太郎冠者が一瞬セリフを忘れてしまったようで、後見の炭光太郎さんがすかさずセリフを補っていました(さすが後見!)ただ座っているように見える(見えてしまう)この後見は、実は全てのセリフを覚えているからこそできる役割。まさに影武者なのです

さて、話を今日のテーマに戻しましょうか。今日お話ししたいのは「地謡(じうたい)」の意味、役割について、です。

伝統文芸で私が最初に興味をもったのは能楽ではなく実は歌舞伎。だからこそ石川県小松市に移住してきた、というのが一番の大きな理由です。そしてその時から、役者と同じく気になっていたのは舞台後方の長唄の方々でした。

歌舞伎はもちろん大衆演劇ですから、派手で豪快な衣装、隈取で文字通り「傾奇者(つまり歌舞伎者)」を表現し、そしてバックコーラスの長唄で演劇を情緒的に歌い上げ、盛り上げる、という構成です。だから歌舞伎の長唄=BGMというのはすごく分かりやすいのですが、では能楽における「地謡(じうたい)」の役割は?大衆演劇でもないのになぜ謡(歌)が?というのは、実はよく分からないまま今まで観劇していました。

ですが今日発見したのが、地謡は単なるBGMではなく能楽の進行をつかさどったり、「シテ」や「ワキ」のセリフや感情を表すものでもある、ということ。つまり「単なるBGM」以上の意味と役割がある、ということです。これが本日のメインテーマであり、結論です。

では話をそもそもに戻すと、なぜ私がこの「地謡」に興味を持ったかというのには理由がありました。一番大きな理由は、特に後シテが現れる後半パートで、後シテがただ舞を舞うだけで終わってしまう(ように見える)演目が結構多かったこと。それにも関わらず解説には「後シテが~~とワキに伝え、~~と言って、感謝の意を表すために舞を舞いワキ一行の旅路の安全を祈った」としっかり書かれていたことです。

舞を舞っているのは分かるけれども「いつそのセリフを言ったの?」といぶかしく思う演目が結構多かったのです。解説者は何を根拠にこう書いているのか?ただの推測?それともエスパーなのか?とすら思ったりもしました(笑)ですが残念ながらエスパーではなくきちんとした解説者、何かを根拠としているはず。舞台の上で根拠とするものとしたら、もしかしたら・・・と思い、ひょっとしたら「地謡」がそれを補っているのでは?と今回の演目を見ながら何となく思い始めたのです。

そしてネットで調べてみると、その勘はドンピシャでした!自分でも驚きましたが、地謡は次のようにとあるサイトでは紹介されています。

三人称による説明ばかりでなく,演技者のせりふの代弁,その心理描写や回想,行動の説明,情景描写などが含まれる。(出典:コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%9C%B0%E8%AC%A1-71801)

地謡は場面によって、情景の描写だけでなく、登場人物の内面や曲の内容に関わる逸話などを謡い分け、曲の展開に大きな役割を担っています(出典:文化デジタルライブラリー  https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc9/kouzou/musical/utai02.html#:~:text=%E8%83%BD%E3%83%BB%E4%B8%96%E9%98%BF%E5%BC%A5%EF%BD%9C%E6%96%87%E5%8C%96%E3%83%87%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC&text=%E8%83%BD%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%84,%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93%E3%80%82)

つまり地謡は「セリフに表れない部分(状況、感情、内面描写)を補うもの」と理解できるかなと思います。そしてさらに地謡には「地頭(じがしら)」と呼ばれるリーダーがおり、

地謡そのものは地頭を責任者として一曲を作り上げています。地頭は周りの人に伝わるように息を吸い、ホンの半呼吸先に声を出すことによって全体の調子やテンポをまとめ上げます。その為には囃子の手組やシテの型を熟知し、ある程度の声量とパワーが無ければ勤まらないでしょう。(出典:脳の地謡 http://simpleenergy.g1.xrea.com/noh59.html)

とも解説されているように、4人の謡手の中にリーダーがいるわけです。そう、全員平等ではないんですね。これも驚きです。そしてそのリーダー、つまり「地頭」はシテ、つまり主役と阿吽の呼吸で全体のリズムを整えるという、二重の意味で驚愕です。

私のようなど素人は、恥ずかしながら「役者が主、謡は従」という極めて安易な理解で今まで能楽を見てきました。ある意味では歌舞伎の感覚で能楽を見ていた、とでも言いましょうか。ですがその理解は極めて浅い理解、というか誤った解釈です。謡が役者(しかも主役)と連携しながら、かつ謡が音頭をとって全体を進めていく、という極めて奥の深い芸術なのだと本日やっと少し理解することができました。

そして同時に「台詞だけが全てではない」ということ、つまり「台詞で明確に表されないことも、台詞(や状況説明)の一部を構成している」ということ。これは以前の投稿で「舞台上の柱」についての考察を書かせていただいた内容と同様、「明確に知覚できるもの(見えるもの、聞こえるもの)だけが全てではない」「見る側が心の中で描く映像も含めたものを総合して見る」という本質について改めて気づかされる瞬間でもありました。

そして同時に、主役である(はずの)シテが、実は一見「従」の存在に思える「地謡」に、ある意味では「操られ」、そして地謡とうまく掛け合う中で全体の演目を成り立たせていく。だたどちらが主従という明確な線引きはなく、あるシーンではシテが主、地謡が従、そしてあるシーンではシテが従、地謡が主になり、その役割が目まぐるしく入れ替わるという、ある意味では逆説的で、そしてきわめて高度な演劇でもあるなということを少し理解できました。

それにしても、そのように考えると、能楽というのは何という奥の深い芸術でしょうか。まさかバックコーラスが芝居の指揮を取っているなんて、普通は考えませんね。そう、私のようなど素人であれば。ですがそうした表面的な理解の裏に、きちんと勉強しなければ味わうことのできないとてつもなく深い本質が隠されている。能楽とは、歌舞伎以上にその本質をとことん理解していなければ、本当の意味で芸術を味わうことはできないのだな、と改めてその奥深さに感じ入ってしまいました。

そう、これは冗談抜きで奥が深い。とてつもなく深い世界、というかまさに能楽の舞台は小宇宙(ミクロコスモス)ですね。そして舞台を取り囲むように敷き詰められた枯山水様式の庭石が、そうした小宇宙(ミクロコスモス)を一層神聖なものにしています。

最後にまとめですが、本日は能楽の「地謡」の役割について考察を書かせていただき、言葉は陳腐ですが能楽の「とてつもない」奥深さの一端を垣間みた、というお話をさせていただきました。と同時に、演劇は「きちんと勉強しなければならない」というのが今回の学び・気づきです。

今後も様々な能楽レポートを通じてこの活動も盛り上げていきたいと思います!