金沢能楽会(6月)行ってきました!&7月能楽会参加者募集~能楽は「女人禁制」なのか?~

先日の投稿は、私が注目する若手狂言師の方々について述べさせていただきましたが、今回のテーマは芸能とは直接関係はないものの、伝統芸能においてやはり気になる「女人禁制」について。

歌舞伎役者は基本的に(子役を除き)男性が努めるもの、という「女人禁制」のおきてがありますが、同じく伝統文芸の能楽も「女人禁制」なのだろうか?と去年観劇をしながらふと思ったことがあります。

歌舞伎や能楽以外にも敷衍してお話をすると、日本の多くの伝統芸能・文化は暗黙裡に「男性が行うもの」というしきたりになっていますね。伝統芸能は往々にして男性役者がdominantなので、何となく「男性が行うもの」という偏見?というか刷り込みが我々の中に少なからずあるのも事実かもしれません。ただし、それが「偏見」でしかないということが、様々な事件によって明らかになるというケースも少なくありません。

数年前に「相撲の土俵に女性が上がって物議を醸した」というニュースを覚えてらっしゃる方も多いかと思います※1。また最近のオリパラの事例で言えば、本来は「女人禁制」となっている区間(確か渡し船による移動だったと思いますが)を、聖火リレーのつなぎのため特例的に女性がつなぐことが認められた、なんてニュースもありましたね※2。

そうした最近の事例は言うに及ばず、例えば宗教の世界でも原則「女人禁制」となっている山もあったり、日本文化を語る上で実は結構な割合でお目にかかるのがこの「女人禁制」の暗黙のルールです。

話を戻すと、果たして世界遺産にも登録されたこの無形文化遺産はどうでしょうか?やはり予想通りなのか、それとも何かしらの改革が起こっているのか・・・

能楽会の関係者の一人に以前少しお話を伺ったことがあり、その方曰く「厳密に『女人禁制』ではないけれども、昔は女性能楽師というのはほとんど存在しなかった。存在はしていたが、古くはそうした方が立ち振る舞われた舞台を鉋で削って整えなおしたくらい、やはり女性は忌み嫌われました。『能楽は神事』というベースがあるからです」とのことです。この発言を大っぴらにしようものなら、この方は間違いなくたたかれるでしょう(笑)ですが、歴史的な経緯としてはやはり能楽も事実上の「女人禁制」だった、ということになりますね※3

と、別にこうしたネガティブな話をしたかったのではなく、そんな歴史的な経緯がありつつも活躍されている女性能楽師の方がたくさんいらっしゃる、ということをご紹介するのが今回の記事の趣旨です。

去年の投稿で、能楽の「後見」の役割について書かせていただきましたが、その当時から私がずっと注目していた女性能楽師に「松田若子さん」「福岡聡子さん」がいらっしゃいます。

お二人とも定例能ではほぼ毎回後見をつとめられている。これがどれだけすごいことか、もうお分かりかと思いますが、そう「ほぼ毎回の能楽の演目を記憶している」ということ!そうでなければこの「後見」というのはつとめられない役回りです。(詳細は去年の記事をアーカイブからご覧ください)

ですがやはりこの「後見」、どうしても奥に控えていてずーっと黙っているか、時々シテの衣装直しをしたりする程度なので、目に見えて後見の凄さというのが伝わりづらいのは私としても歯がゆいのです。

松田若子さんと福岡聡子さん、私も以前から拝見はしており今年に入ってからお二方ともシテをつとめられた演目も一回づつありました。少し残念だったのは、お二人の演技力は男性能楽師にはもちろん引けを取らない素晴らしい物でしたが、やはりお声が太鼓や笛にかき消されてしまう。セリフ回しまで聞きたいと思っていたのにそこが唯一心残りでした。

ちょっと穿った見方ですが、シテは能面をつけてセリフを言うのでただでさえセリフが聞き取りづらい。それに輪をかけて太鼓や笛はそれなりに響くので、シテの声がかき消されてしまうのはよくあることですが、にも関わらずちょっとこの日はいつにもまして太鼓と笛のボリュームが大きかったような?気がしていました。嫌がらせなのか?と思いたくなるくらいです。

というのはさておき、お二人のプロフィールですが、

◇松田若子さん

・一九六四年、金沢能楽会の重鎮だった宝生流シテ方の故渡辺容之助さんの長女として生まれ、東京芸術大、同大学院で能を専攻。金沢能楽会で活動し、二〇一四年に重要無形文化財保持者(総合認定)となり、日本能楽会会員に※4

・宝生流能楽師故渡邊容之助師の長女として生まれ、3歳で仕舞、6歳で能初舞台。1983年東京芸術大学入学。宝生流宗家及び音楽学部邦楽科宝生流故佐野萌教授に師事し、同大学大学院修了後は金沢能楽会定例能を始めとした舞台に立つほか、「梅鴬会」などの講師を務めている。2014年重要無形文化財(総合指定)認定※5

◇福岡聡子さん

・無形文化財保持者に認定(2020年)/宝生流家元の許可を得て、女性としてプロのシテ方として活躍する、県内で唯一の女性能楽師※6

そして松田若子さんは名家の跡取りと言うことで2014年に、そして福岡聡子さんはプロの能楽師として2020年にそれぞれ無形文化財保持者登録を受けているという、何とも素晴らしいことです。そして福岡聡子さんのように、家元を継ぐというわけではなく、一般の方がけいこを積んでプロの能楽師なるという道もあるのですね。ここは歌舞伎の坂東玉三郎氏や片岡愛之助氏をふと思い出しました。やはり実力主義は、世襲が厳しい世界とはいえ一定の割合でいるものなのだな、と。

最も、彼女ら女性能楽師が今から何十年も前から、それこそ女性能楽師に対する偏見や差別が普通に存在していた事態からずっと耐え忍び、己の芸を磨き続けて今の時代にやっと少しずつ認知され、広がるようになってきたということ。言葉は軽いですが、人生をかけた挑戦だったと言えるかもしれません。

お二方とも無形文化財保持者ということで、そんな方々を毎月当たり前のようにして拝見していましたが、来月からは見るこちら側ももっと気を引き締めて臨もうかと思います(笑)

これからも若手狂言師、女性能楽師など今後を背負っていく方々を追い続けていきたいと思います!

【引用】

※1:引用:産経新聞(2018年4月5日)https://www.sankei.com/article/20180405-QIOSC5D24FIL3LG7XRJQZ5IL7Y/ 大相撲巡業中に挨拶中の市長が突然倒れ、救命措置のために土俵に駆け付けた女性に、日本相撲協会が土俵から降りるよう指示をしたという事件。我々の記憶に新しく、覚えてらっしゃる方も多いのではないかと思います。

※2:引用:毎日新聞(2021年4月7日)https://mainichi.jp/articles/20210407/ddm/041/050/083000cこのニュースもそれほど大きくは取り上げられませんでしたが、やはり各地の「伝統」「習俗」として根付いている女人禁制のしきたりの再考に一石を投じるものであったと思います。

※3:北陸中日新聞の記事解説にも「かつて女性にとって能は習い事や鑑賞するだけのものだった。男性中心の世界で、女性が能楽協会に入会を許されて能楽師として認められたのは戦後の一九四八年になってから。その後、二〇〇四年に初めて重要無形文化財保持者(総合認定)に女性が認定された。松田さんは一四年の第二陣の認定者だ。しかし、千百人ほどの能楽協会員のうち約百八十人を女性が占めるまでになったとはいえ、神事ともされる演目「翁」では楽屋が今も「女人禁制」。そのほか女性が舞台に立つ上で制約は多い。」とある。引用:北陸中日新聞(2019年3月21日付け記事)https://www.chunichi.co.jp/article/34709

※4:引用:北陸中日新聞(2019年2月16日付け記事)https://www.chunichi.co.jp/article/34709

※5:引用:『金沢日和』https://www.kanazawabiyori.com/special/beautiful/04.html

※6:引用:中日新聞(2020年7月18日付け記事)https://www.chunichi.co.jp/article/90938