金沢能楽会(6月)行ってきました!&7月能楽会参加者募集~間(アイ)の役割についてちょっとお勉強~

当塾は金沢能楽会の賛助会員として登録をさせていただいており、本日は6月定例能の観能会でした。

先月から色々と私見を交えた能楽解説を述べさせていただいておりますが、今回の6月定例能でもなかなか興味深い発見がいくつかありましたのでご紹介したいと思います。

本日は「間」という役回りについて、こちらも前から気になっておりましたので少し書かせていただきたいと思います。

いつも登場するわけではないのですが、この「間」という役回り、今回の定例能でも登場しましたがシテ・ワキ・ワキツレとはそもそも衣装が全然異なっています。ワキは多くの場合袈裟懸けの僧侶(とその弟子)、シテ(特に前シテ※1)は地味な衣装ですが、「間」は他の登場人物に比べて明らかに軽装、色味も少し派手(明るめ)の、町民風の衣装を着ています。

そして役回りも、あれ?先月の狂言で見た狂言師だな、と思ったら・・・そう、狂言師の方がつとめています。能の舞台で狂言師が登場?これはいったいどういうことだろう?と混乱し、何かの間違いなのか「間」とは何ぞや?について少し調べてみました。

間(アイ)とは?

まず、そもそもの読み方を知らなかったのでそのお話からしましょう。「間」は「アイ」と読みます。「マ」ではないのですね。まずそこから分かっていなかった・・・そしてその役回りですが、「能の中の狂言方の役。前場が終わり前シテ等が退場した時、ワキに改めて物語をする※2」「前シテが退場すると、代わってアイが登場、前場で起こった出来事や、物語の設定や背景などを解説します※3」と説明されます。つまり要約すると「能楽の中盤で、前半までの話の流れをおさらいして語るストーリーテラー」ということになるでしょうか?ここまで調べて初めて「狂言師がなぜ能楽に?」という私の初心者質問は解消されました。そう、これは狂言師の重要な役回りだそうです。

そしてこのストーリテラーという役回りにも、どうやら2パターンの語りがあるようです。「能の前半の内容を要約して伝える」という「居語り」、そして物語の進行を助ける「アシライ間」という役などがあるそうで※4、多様な役割をこの「間」は務めるのだなということが何となくわかるかと思います。

今回登場した「間」はここでいう「居語り」に近い役回りです。近い、というのは、今回の舞台ではアイが舞台の最初に登場して、これからワキ達が合うことになるシテに関する重要な説明をしているシーンだったからです。そのため「能の前半・後半のつなぎ役」としての役ではありませんでした。どうやら様々なタイミングで「間」が登場するポイントがあるようですね。

そして今回この「アイ」の語りを聞きながら思ったのは、「それまでの話のおさらいを、平易な言葉で要約してくれる役がいるのはとてもありがたい」ということです。

能楽はたいていが1時間~1時間半の長丁場になることが多く、シテがいよいよ変身して後半パートに突入するぞ!と物語のテンションが上がる前に、前半の区切りとして物語のおさらいをしておくわけですね。そうしていよいよ後半のパートを見る心の準備が我々側にもできる、というわけです。中々うまい仕掛けだと思います。

狂言師は町人風、というか一般の人(たいていは「この辺りの物にて候」と名乗ってツレと語らう)という設定で、話し方も能楽師のように仰々しい話し方ではありませんから、こちらは比較的聞きやすいです。

そういえば、確かに以前一度この「間」が出演する演目を見たことがあったのを思い出しました。その時は「物語の前半のダイジェストを語る役割」という、何となくそんなイメージくらいしかありませんでした。いったいこの人は、どういう役回りなのだろう?とその時は全く分からなかった(黒子的な役割か?くらいの認識しかなかった)のですが、その時に見た役回りもこの「間(アイ)」だった、というわけで合点がいきました。

能楽の舞台に狂言師と能楽師が同居するというのは、なんだかとても違和感のあるシーンだなと最初は思っていましたが、それもこれもこの「間(アイ)」という役割があればこそ、なのですね。そして前回記事でも少しか書かせていただきましたが「能楽と能楽との間に演じられる狂言」、その本質とはまさに能楽・狂言が連続して、全体として能楽の演目を形成しているんだなというのも気付くことができました。

と同時に、一見難解と思われがちな能楽も、このようにアイが様々に語ることで観客の我々にも少しでも理解してもらおうという工夫を凝らしていることに新鮮味を覚えます。歌舞伎と違って能は、「予習して臨むもの(そうしないとそもそも理解ができない)」という認識が強いからです。

もっとも能楽はエンターテインメントではなく「神事」であるということが大前提ですから、ある程度の予習をして予備知識をつけてから臨むのが本来のマナーなのでしょうが、そうはいってもやはりお芝居としての要素、そしてある意味では「仏教の教え」を説く場でもある。だから「分かりやすさ」ということも重視された結果この「アイ」という役割の存在意義があるのだろうと思います。

と、今日は「アイ」について色々と調べ、まとめた記事として編集をさせていただきました。次回の投稿でも日ごろから疑問に思っている様々なテーマについて書いていきたいと思います。

※1:「登場人物が装束などを変えるため、幕・または作り物の中に入って一旦退場することがしばしばある。これを中入りという。また、主役をシテというが、中入り前のシテシテ中入り後をシテと呼び分ける。」とのこと。引用:『the能.com』https://db2.the-noh.com/jdic/2020/08/post_508.html

※2:引用:『こしがや能楽堂』https://nohgakudou.kosi-kanri.com/about/

※3:引用:『文化デジタルライブラリー』https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc12/hayawakari/aikyougen/index.html

※4:引用:『the能ドットコム』https://www.the-noh.com/jp/sekai/roles.html